手放すって、どういうこと?

2015.03.02

よく使われる「手放す」という言葉。

 

これ、どういうことだ??

ほんとのとこ、よくわからんかも、と思うのです。

 

私があれこれやった結果わかった「手放す」とは、

 

「どうしたってあきらめきれない」

「どうしたってなくならない」

 

と、思い知ること

 

だと思います。

 

私の世界を支配する、歪んだものの見方(メンタルモデル、ともいいます。)の代表格に、

 

「私は女として、価値がない」

 

というのがあります。

 

女としての自信がない。

 

ないので、そこを、男で埋めようとする。

 

自信がない私が、自信のなさを男を利用して埋めようとするので、

 

私以上に自信のない男を引き寄せます。

 

しかし、

 

私の自信のなさが、この人を引き寄せている

 

という自覚は、私にはさらさらないので、

 

そのうち、彼の自信のなさが透けてみえてきます。

 

そして、この自信のなさを隠したい彼は、

 

私にいばってみせ、支配しようとし、束縛が強くなっていく。

 

私は彼の自信のなさに嫌気がさし、やがて関係は破綻します。

 

これは、私が20年以上繰り返す、恋愛のパターンで、

 

結婚もこのプロセスを通り、離婚にいたりました。

 

 

様々な学びを通し、

 

この関係を引き寄せたのは、

 

「私は女として価値がない」

 

という、メンタルモデルが原因だったんだと、

 

嫌というほど思い知りました。

 

何度も、何度もそのことを「手放し」ました。

 

でもね、

 

これ、なくならない。

 

まずは自分で自分のことを、あるがまま愛しましょう

 

とか、

 

自己肯定、セルフイメージが大事

 

とか、

 

散々、読んだり、自分で言ってみたりもしたけど。

 

なくならないね。

 

どこかで、

 

パートナーのいない自分は不十分だ。

 

何かが欠けている気がする。

 

って思ってるもん。

 

その度に、「あ、いかんいかん。自己肯定自己肯定」って思うけど、

 

いるもんね。私の中に。。。。。

 

あーーーー。これなんだな。

 

もうね、どうせいなくならないから、

 

いてもいいよ。

 

あ、またいたね。ヨシヨシ。

 

あきらめきれないよね。

 

もう、そこにいていいよ。

 

これも、私の一部です。

 

みたいな感じ。

 

手ばなす

 

 

 

 

手放すっていうと、離れていくイメージがあるし、

 

一回手放したはずなのに、

 

また発見すると、自分がほとほとダメなように感じることもあるけど。

 

何度も何度も味わうのが当たり前。

 

だって当たり前のように、そこにいるものだから。

 

当たり前にそこにいるものとして、

 

あきらめて、

 

受け入れる。

 

 

これが、私の思う「手放す」なのです。